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『特上カバチ!! ─カバチタレ!2─ (17)』の発売を記念して、原作 田島隆さん、作画 東風孝広さんのロングインタビュー

掲載日:2009.06.23

「漫画★全巻ドットコム」「マンガナビ」共同企画
『特上カバチ!!(17)』発売記念ロングインタビュー

『特上カバチ!! ─カバチタレ!2─ (17)』の発売を記念して、原作 田島隆さん、作画 東風孝広さんのロングインタビューを敢行!
なお今回のインタビューは「漫画★全巻ドットコム」「マンガナビ」の共同企画として、原作 田島隆さんのインタビューを「漫画★全巻ドットコム」で、作画 東風孝広さんのインタビューを「マンガナビ」で公開します。
原作と作画、一つの作品に異なる立場で関わる二人のインタビューは、ともに必見です!

原作 田島隆さんのインタビューはこちら

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作品紹介『特上カバチ!! ─カバチタレ!2─ (17)』

特上カバチ!! ─カバチタレ!2─ (17) / 東風 孝広 , 田島 隆 特上カバチ!! ─カバチタレ!2─ (17)
東風 孝広 , 田島 隆
講談社
下々のみなさーん!!痛みに耐えてますかーーッ!!
労働大殺界 クビ切りJAPANにカバチする!!
バツイチの枯草茂は出版社の契約社員。毎朝幼い娘を託児所に預けてから、営業に出るが成績は上がらず、歩合制のため収入が安定しない。ある日、家賃滞納で家を追い出された枯草。会社に給料の前借りを頼んだが断られ、そのうえ契約打ち切りを宣告されてしまう。そんな枯草を住吉がサポート。非正規雇用者を蔑ろにする経営者、許すまじ!

インタビューイ

東風 孝広(コチ タカヒロ)さん
1972年、広島県呉市生まれ。
1996年(24歳)、従兄弟の田島隆氏の紹介により青木雄二氏に出会い、大阪に出ることを決意。
半年間『ナニワ金融道』の作画を手伝う。
1998年(25歳)、処女作『五番街』で「週刊ヤングマガジン」のちばてつや賞ヤング部門入賞。
1999年5月より「モーニング」にて『カバチタレ!』の連載を開始。
2001年8月より「イブニング」にて『極悪がんぼ』の連載を開始。
2005年7月より「モーニング」にて『特上カバチ!!』の連載を開始し、現在に至る。
大阪府大阪市在住。

インタビュアー

成澤 大輔(ナリサワ ダイスケ)
1965年、東京生まれ。
編集者、ライター、企画者。
20歳のころからテレビゲームに関する単行本の制作や記事を数多く手がける。
攻略法の指南より、世界観や背景を解説しながらテレビゲームを深く楽しむスタイルの本作りが得意。
代表的な制作物は「ダービースタリオン全書」シリーズ、「真・女神転生のすべて」シリーズ、「ドラゴンクエストのあるきかた」シリーズなど。
マンガを本職のテレビゲームよりも愛しており、今も月に50冊以上の雑誌と30冊以上の単行本を購入し続けている。
だがあくまで趣味なので、仕事にはしていなかった。
当サイトにて成澤大輔の「マンガを読むので忙しい!」を連載中!

それでは、作画 東風孝広さんのインタビューをお楽しみ下さい。

連載10年間でわかったこと

―― 『カバチタレ!』の連載開始から5月で10年になりました。おめでとうございます。

どうもありがとうございます。

―― 初めての連載で10年間、いろいろ変わってきたことがあるのではないかと思います。

そうですね。アシスタントしていた青木雄二先生の絵柄で連載をはじめることになって、最初のうちはあの絵があまりうまくないというか、わざとデッサンを崩せばいいんだ、ぐらいで思ってやってたんですけど、描けば描くほど青木先生の絵のうまさ、深みってのがわかってきたんですよ。

―― たしかに、誤解されやすいというか、普通のうまさという尺度では測れないタイプの絵ですよね。

スクリーントーンを使って描くとある程度ごまかせますから、ちょっと下手な部分をカバーできるんですけど、青木先生は全部線で繋げて描きます。ぼかしたりしないのでごまかせない。フリーハンドならではの、ウソのつけない絵なんです。

―― 自分で描き込んでみなければわからない、ということですか。

最初のうちは締め切りに追われてがむしゃらに描いていたのですけど、5、6年過ぎたあたりから考える時間ができるようになって。青木先生の絵を受け継いだのはいいけれど、僕はあの絵のいいところに気づかないまま、「ヘタ」に見えて目立っているところだけ描いていたなと。そこに気づいたから良かったと思うし、ならば僕は逆に、青木先生の初期の頃に戻して行こう、青木先生がしようとしていたところに近づけようと。『ナニワ金融道』も初期の1~2巻あたりだと、背景まで青木先生が描いてたので、「ここを見せたい!」というこだわりがよくわかるんです。そして7、8年くらいしてやっと背景とか、人間の動きにしても満足いく絵ができてきたなあと。それが10年やって、やっと気づいたことですね。

青木さんの想い出 アシ時代

―― 青木さんのアシスタントは、『ナニワ金融道』が完結する最後の1年ぐらいのことと聞きました。

いや、実際には半年ほどです。でも青木先生はきっちりしていて厳しかったですし、僕もその時に教わることはすべて吸収しようと思ってましたから。アシスタントの使い方、作業の割り振りなどの仕事の進行は、その半年で全部勉強しました。まぁ、今となってみれば、半年では勉強が足りてなかったなぁ、とも思います。

―― なんでも、アシスタントに入った最初の一週間は、丸ペンのフリーハンドで直線を引く練習だけだったとか。

はい。そのときはなんのためなのかわからないまま、ずーっとそればかりで。定規を使わずに線を引けば味になるのかな、程度にしか考えてなかったんです。

―― その理由はわかったんですか。

はっきりと理解したのは自分でアシスタントに教えていく時でした。一点透視で定規を使ってきちっと描くと、街がセットのように見えてしまうんです。その違和感の原因が最初はさっぱりわからなくて、とことん青木先生の絵を見てみました。すると、道路は真ん中が盛り上がって排水溝に向かって斜めになっているとか、電柱にしても真っ直ぐにたってるのはひとつもないとかがわかってきて。青木先生が「電柱を描くなら、電柱にも演技をさせろ」と言ってたのはこういうことかと。だから、僕もうちのアシスタントにも同じことを言ってます。

―― 技術の向こうにある厳しさを感じる言葉ですね。

はい。電柱1本をおろそかにすれば、すぐ死んだ街になるので。けど、僕は青木先生の最後のアシスタントだったので、その頃には背景の描き方が簡略化されていました。本当の青木先生の絵から伝わる深さというのを全然わかってなかったんです。

青木さんの方法では追いつかなくなってきた

―― 東風さんの絵はもうすでに青木さんから離れ、東風さん独自の絵柄に到達しているように思います。

そうですね......。キャラクターの表情に限って言うと、青木先生の絵はパッと見た目では5パターンくらいしかないように見えるんですけど、実際には鼻の横のシワ、眉毛の描き方、あるいは口の動きとか、微妙な表現がいっぱいあるんですよ。そうした細かいところを描くほどに、知るほどに自分の努力が未熟だと気づかされました。僕が若いせいもあるんでしょうね。自分のこととして体験してないから、同じように描いてもそこまで表現しきれませんでした。だから、青木先生の絵を受け継いでやってきたけど、やがて自分なりの手法を使わざるを得なくなったということでもあるんです。

―― 具体的にどのあたりからなんでしょうか。

『カバチタレ!』6巻のドメスティックバイオレンスのエピソードあたりから増えてきました。あの場面、でお母さんが子どもを殴っている表情は、青木先生の漫画にはなくて。僕が知っている青木先生の表現方法をどう組み合わせても追いつかなくて、迫力がなかったんですよ。でも、先生の絵を一度忘れてみようと思ってからドラマに入り込んでみると自然に手が動いて、お母さんの表情がよくなったんです。あのエピソードに気持ちが入り込んでたので、いい方向に働いたんでしょうね。

ずっと先生の絵に沿っていかなければならないと、自分で檻の中に閉じこもって悩みながら描いてたんですけど、まだ僕がドラマに入り込めてなかったからでしょうね。きちんとにドラマの中に入り込んで、お母さんの気持ちになれたとき、自然とあの表情を描いて、青木先生の絵から初めて飛び出せた実感がありました。

―― それからは背景の描き方なども変わっていったのではないですか。

そうですね。たとえば空の雲の表現で、青木先生の後の方の作品ではバッテンみたいなのが空に浮かんでます。これは先生だけでなくアシスタントが手慣れたために記号化され、変な物体が浮かんでるように見えるんですけど、僕は最後の時期にアシスタントに加わったので、こういう表現の仕方なんだと理解して、自分の作品でもそのまま同じことをやってたんです。でも、青木先生の初期の作品を見れば見るほど、ちゃんと雲を表現しようと思っているのがわかるんですよ。普通は雲なんてきっちり描かないと思うんですよ。線のもくもくしたものを描くぐらいで。でも、青木先生は斜線でバッテンを描くことで、その雲の下の影を表現したかったと思うんです。それがいつしか記号化されてしまった。直接青木先生から聞いたことはありませんが、自分でずっと描いているうちにわかってきたということです。

―― 青木先生の本来のリアルさに立ち返るということでしょうか。

ええ。だから僕は今、雲ならば記号的な表現は極力避けて、きちんとと表現するようにアシスタントに言ってます。最近では『特上カバチ!!』の14巻に、酒屋のおじいさんの葬儀場面がありますけど、空に厚い雲が覆っている様子をできるだけリアルに描き込みました。

『特上カバチ!!』と『極悪がんぼ』は同じ街にある

―― 『カバチタレ!』『特上カバチ!!』のキャラクターは、大野所長や栄田さんといった酸いも甘いも噛み分けた『ナニワ金融道』風ですが、主人公の田村くんや『特上』になって登場した住吉さんなどは東風さん独自のタッチが強く出たタイプですよね。

『ナニワ金融道』より登場人物が若いですよね。若い女性も多く出てきますが、これは青木先生の絵で表現するのは難しいと最初から思ってました。青木先生が描けないというのではなく、描けばすごく味のある雰囲気のキャラクターになるでしょう。でもそれを僕はきちんと踏襲できない、ただただヘタクソにしか表現できなくなる。そこでどうしても僕なりの表現が必要になり、今の描き方になっていったんだと思います。

―― キャラクターにモデルはいるんですか。

大野事務所の人びとや住吉さんは、原作の田島さんの身近にいる人たちですね。彼らのイメージを拝借しています。依頼者やその友人など新しいキャラクターは、もう青木先生を意識しすぎることなく作っています。そこまでマネしようとしても無理だということがわかったので、行く道が多少ちがっても、画力の到達点は同じところを目指しているつもりです。

―― 同時で進行している『極悪がんぼ』にはさらに強烈な人物が出てきますし、夜が舞台になることが多いですね。そのあたりの描き分けについて気をつけていらっしゃることはありますか。

僕の中では田村も神崎(注:『極悪がんぼ』の主人公の青年)も両方あるんですよ。欲望に隠さずに人間臭い神崎と、青臭い優等生の田村と。けど田村の性格は、かっこつけたくてウソをついてしまう自分の一面でもあるんですよね。だからむしろ神崎のほうが描きやすくて、田島さんにも編集者にも「神崎はいつものびのび描けてるのに、田村は表情がしんどいなあ」て言われちゃいます(笑)

―― 田村ってつい正論を言っちゃって、かたくなにそのとおりに動いちゃうタイプですもんね。

心の中で「こんなヤツおらんやろ!?」みたいなツッコミ入れてるときもありますよ(笑) だから『特上カバチ!!』を描くときは、田村になりきるために神経使っているのはたしかですね。

―― 『特上カバチ!!』と『極悪がんぼ』では、前者が昼の世界、後者が夜の世界というように好対照になっているように見えますが、描き分けにとくに意識している面はありますか。

2つの世界があるのではなくて、同じひとつの街の中で生きている人たちのドラマなんですよ。世界観そのものは一緒で、時間のちがいでしかないという。ですから、描き分けを意識することはなくて、どちらもあの世界の中にある現実の一場面です。作中ではときどき田村と神崎がすれ違ったりしてますし。

マンガ家になる前

―― ところで、青木さんのアシスタントになる以前は、どのようなことをやってらしたんですか。

広島の工業高校を卒業して、すぐ機械の設計製図の仕事に就きました。ホントは就職したくなくて、子どものころから好きだった絵の方向に進みたかったんですけど、親も僕も美大とか専門学校とか行こうという発想が全然なかったので、どうしたらいいのかわからない状態なりまして。でも就職もしなければいけないと思って。設計なら絵とは違うけど何か描くという意味で勉強になるかなと考えて決めたんですが、作業はパソコン使って描くCADだったので面白くなくて、結局1年で社長に「マンガ家になるから辞めます」って宣言して。社長も「こいつは何言っとんだ」みたいな。

―― 引き止められませんでした?

思い切り引き止められましたね(笑)
「今まで、漫画描いたこととか、応募したりとかしてるのか?」
「いえ、何もしてません」と。
「マンガ家になれる保証はないのになんで辞めるんか」と言われて。

―― それまできちんとマンガをを描いた経験はあったのですか。

ノートにラクガキを描いてる程度のものでしたね。小さいころから絵を描くのは好きだったので、小学校の時もマンガクラブに入ったりとか。それが高じてマンガらしいものを描いて友達に読んでもらったりとか。でも、高校時代は工業高校だったこともあって、マンガからはちょっと離れてました。

―― それでもマンガ家になろうとは思っていたんですね。

そうですね。辞めたのはいいけど、どうしたらいいのかわかっていなかったので、とりあえず東京行って誰か先生のアシスタントになって勉強しようと。でもそのためのお金がなかったので、とりあえず警備員のバイトをはじめました。これならすぐに東京行くお金が稼げるとなと考えて。設計製図の仕事はいいかげんにやってしまったのですが、警備員は自分が社会人としてどこまでマジメに仕事ができるのかを試したかったというのもあり、とことんがんばりました。それまでとは一変した、想像を絶するしんどい仕事でしたけど。

―― わかります。わたしもやったことありますので。

朝、ある現場にバイクで向かう途中、トラックが道に落としたデカい石に乗り上げて、派手に転んで制服がビリビリに破れ、大流血したことがありました。反対車線に飛び出して、後ろの車が止ってくれなかったら轢かれるところでした。それでも現場には行かなあかんだろうなと思って、普段と同じように交通整理の作業に入って。そのときたまたま、警備の課長が現場を巡回していて、事情を話したらたいへん感心してくれました。最近の若者には珍しい根性だと。

―― 仕事のテンション上がっているから、我慢できちゃったんでしょうね。

それが妙に評価されて、社長に紹介されたらとんとん拍子で社員になってしまいまして。警備専門ではなくビルの管理なども行なう会社で、結局4年間勤めたのですが、社員になってからは路上整理だけでなくイベントの設営撤去、空気環境測定に害虫駆除、貯水槽清掃といろいろな仕事をさせられました。そのときに普段入れないような役所や図書館、あるいは自衛隊関連施設などの裏側を見られたんです。今になって思えば、この体験がものすごく役立ってますね。作画の資料をいただければどんなところなのかイメージできますから。青木先生や田島さんはさまざまな職歴がある人たちですが、僕も体験した現場の数は多いほうですし、その4年間で培った多くの体験が作品に活きていると実感しています。

子ども時代から青木さんのアシスタントになるまで

―― 原作の田島さんとは従兄弟同士ですが、昔から仲が良かったのですか。

ええ。田島さんが4つ年上で、物心ついた時には一緒に遊んでいました。やんちゃな田島さんに金魚のフンみたいにひっついてまして。

―― その頃からお二人ともマンガはお好きだったのですか?

そうですね。僕がノートに描いたマンガを田島さんが見て、そのキックの仕方は足の形が違うとチェックされてましたね。今もチェックされてるんですけど(笑)

―― 幼いころから原作者と作画家みたいな関係ができてたんですね。

僕が小学校4年生のときに初めて最後まで仕上げた漫画があるんですけど、その背景にすでに田島さんがすでに赤エンピツで何か背景を描いたのがあるんですよ。宇宙戦争的な漫画だったんですけど背景を全然描いてなくて、田島さんがここに宇宙ステーションが浮いとるとか、クレーターのある星を描いとったら臨場感でるやろ、みたいな感じで。

―― それから10数年後、仕事でホントに組むことになるわけですが、コンビになったいきさつはどうだったのでしょう。

先にお話しした4年間の会社勤めですっかりマンガ家になることを忘れていたんですが、あるとき、田島さんに「呉に青木先生が取材に来るんだけど、会ってみるか」と訊ねられまして。描いた絵を見ていただいて「これだけ描けるならアシスタントはせんでも、自分が描きたいものを描いたらいいじゃないか」と言われました。そこから2ヵ月、とことん突き詰めて考えて、青木先生のところに「アシスタントをやらせてください」と電話したんです。一度広島を飛び出さないと何もはじまらないような気がして。

―― 青木さんの反応はいかがだったんですか。

マンガ家はもう辞めるからと最初にお会いしたときに聞いていたんですが、どうしてもやってみたいと強くお願いしました。田島さんを通さずに直接話しちゃったんで、あとですごく怒られたんですが、結局は田島さんからも青木先生に推していただいて、採用していただきました。もし、あのとき呉で青木先生にお会いしていなかったら、僕はまだ会社に勤めていたんじゃないかと思います。

『カバチタレ!』で田島さんとのコンビができたいきさつ

―― そして『ナニワ金融道』が97年に完結し、青木さんはマンガ家を引退されました。

そのあと僕はヤングマガジンのちばてつや賞で佳作をいただいたんですが、それからしばらくして田島さんから連絡がありました。田島さんは独自に『カバチタレ!』の原作を書いて青木先生や編集部に見せて連載の話が進んでいたそうです。そこで僕に話が回ってきたんですが、なにしろ賞を獲ったマンガがペンを使って最後まで仕上げきった初めてのものですから、編集部では正体のわからんような人間は使えないってことで全然期待していなかったらしいです。

―― 週刊連載ともなれば、致し方ないことかもしれませんね。

それでも田島さんの案をもとにいろんな絵でキャラクターデザインを起こしました。その中で冗談半分に青木先生の絵に似せてみたら、これいいじゃないかって言われまして。そっちはいいけどこっちは青木先生に怒られるやろと思ってたんですが、どんどん話が進んでいって。そしてネームを練り込んでいくうちに、この絵でやっていける手ごたえを感じはじめていました。

―― 最初から青木さんの絵を継承することを目標にしていたのではなかったんですね。

東京に呼ばれて編集長に「これで連載いきましょう!」って肩叩かれたときは改めて驚いたというか、連載をやれる自信もなかったんです。しかもまだ青木先生にはこの絵でやることはまったく話していませんでした。その後、ネームを持参して編集長と一緒に青木先生にお見せしました。僕は怒られるんじゃないかってドキドキしてましたが、先生は読んだあとに「おっ、いいんじゃないか」とおっしゃってくれました。そして「この絵が東風くんの一生の絵になるんや」と言われて、そのときにようやくほっとしましたね。

―― アシスタントが師匠に影響を受けて絵が似るパターンは多くありますが......。

僕みたいに師匠の絵と似せてデビューするパターンってどうなんでしょう。あまり例のないことかもしれませんね。

そして今後

―― 作者として『特上カバチ!!』をこんな風に読んでほしいという希望はありますか。

『カバチタレ!』『特上カバチ!!』は町の法律家である行政書士たちのドラマで、身近に起こりうることを取り上げて描いています。いつ自分が当事者になるか、わからない話ばかりです。そんなときに法律の知識がまったくないと、状況によっては相手の都合のよいままに振り回されて、酷い目に遭ってしまう可能性があります。ですからこの作品で多少なりとも知識を身につけられれば、生活するうえでの剣や盾になってくれるのではないかと思います。僕自身は僕自身は法律の世界の人間ではないですし、法律が好きってこともありませんから、なおさらそう思いますね。

―― 今後、もし別の作品を描くとしたら、どんなことをやってみたいですか。

そうですね。たとえば「寅さん」のような人情モノでしょうか。ほら、寅さんってあまり法に縛られていない人間じゃないですか。逆にそういう人間を描いてみたいというのはありますね。今や誰もが何かに制限を受けていて、ああいう生き方をできる人もいなくなってるじゃないですか。だからこそやってみたいですね。

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