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最終回の構想はどの辺りで決める?「『羽生生純』の答え」

掲載日:2011.04.09

「羽生生純の『絵答え』の答え」の巻

「地震のバカヤロー!」

これは三宅乱丈さんがコミックビームに声をかけ、ビームのサイトで掲載作家以外の方も含めた多くの方が参加されてる、しりあがり寿さん命名の作戦名「地震のバカヤロー!!MDS(漫画家だってできることをする)作戦」からの言葉ですが、いろんな思いを、人間への「恨み」では無く出来事への純粋な「怒り」に変えて吐き出し次に進みたいと思っている羽生生ですがみなさまいかがお過ごしですか?

気持ちを切り替えてこれからもドシドシ質問に答えていきますよ!
さあ来い!

どんなに人気のあるマンガでも最終回を迎えることになるわけですが羽生生先生は最終回の構想はどの辺りで決めるのでしょうか?
新しくマンガのアイデアを考えるときにある程度最終回までの構想を決めてしまうのでしょうか?
それとも、最後までは決めずにスタートし流れの中で決めていくのでしょうか?
終わりよければ全て良し!そうでなければ...。
最終回が残念な感じであったために、作品全体が残念な感じになってしまうこともあるかと思います。
その辺りをどの様にお考えでしょうか、教えてください。
あっ!ちなみに「羽生生純の絵答え」ですが今回が最終回ですので。

マンガナビ編集部より

ええええええええええええええええええ最終回!!!???
せっかくやる気という名の小宇宙(コスモ)を燃やしたところだったのにーーー!!
え?最終回ってとっくに決まってたの?

チックショーこの......

地震!!!てめえどこ中だコラ!!!研ナオコのモノマネしてる清水アキラのコスプレさせるぞコラ!!!!

...では気を取り直して質問に
地震コラ!!!!強制的に全く平凡な普通の人の人生を忠実に全50巻で週刊漫画連載させるぞコラ!!!!!もちろんギャラは全額寄付だコラ!!!!!

...度々取り乱し失礼いたしました。
ではお答えします。

物語を表現する形式として感覚的に漫画に一番近いのはテレビドラマだと思われます。
全巻描き下ろしなどの一部例外を除き、商業誌に掲載されている漫画の週1回や月1回の連載を続けることによって物語を提示していくという枠組みと週1回放送されるテレビドラマのそれはよく似ています。

ですが、大きく違う点があります。
それは「人手と費用」です。
最低限1人でペンと紙だけで全ての作業(編集側の作業は別ですが)をこなせる漫画に対し、テレビドラマは役者やスタッフ等多くの人が関わりセットや機材に多額の費用をかけねば作れません。
だから多分企画がスタートする時点でいくらくらいかかるかとか計算しなければいけないでしょうからある程度最後までお話の流れは決まっていないと大変だと思います。

何が言いたいのかというと、漫画というのはそれに比べて身軽な分、終わりを比較的自由にコントロールすることが出来るということです。

大ヒット週刊漫画ならどんなに「終わり」感を出してる展開でも続ける意思(作者のであれ編集側のであれ)さえあれば翌週からサラッと新展開が始まるでしょうし、それが週刊漫画独特の「うねり」になって面白さにつながるという場合もあります。

でも発表する媒体が商業誌である以上、どんな漫画も最終的には編集というか会社側の判断で終わるのです(もちろん連載が終わっても作者が自主的に作品を完成させることは出来ますが)。

一方作者側の理由で作品を終わらせることも可能ですが、「この物語はここまで描ければ目的を達成することが出来たので終わりにします。人気があってもなんでも自分の気持ちで終わらせます」という場合を除いてほとんどが作者の体調や精神的、物理的な問題だったりするので作品にとってあまり幸福ではないかもしれません。

このように枠組み的にはいくつかの終わり方がありますが、内容的な「終わり」というのは基本的にひとつだけで、それは

「おもしろく!」

ハッピーエンド、バッドエンドに関わらず、全ての作品は「おもしろく!」を目指して進むものです。

でもその「おもしろく!」が作者の意図と同じかどうかはまた別問題なのです。

いろんな思惑が働いて当初の終わり方とかけ離れてしまいボヤーンとした終わりになるというパターンもあるでしょうし、その逆に強制的に終わりにさせられ作者の意図した方向に行かなかったけど、ちゃんと終わってないことによって返って作品の永続性が高められて面白くなるということもあります。

ただどんな終わり方をしようとその作品の全ては作者の名の下にあるわけですから、内容的に「終わり」を決めるのは作者であると言えます。

そこで大きいのは、漫画は最低限作者と編集者のコンセンサス...コンサンセス?サンコンデス?...合意があれば(地震このヤロ!!)、終わりをどんな方向に振っても良いという点です。

テレビドラマで原宿恋愛ストーリーで始まった物語が宇宙戦争終結で幕を閉じるためには少なくともスタート当初から予算を組んで準備しておかなければなりませんが、漫画であれば(描けさえすれば)それも可能なのです。

でまあ人様の思惑はわからんので自分の例を言いますが、なんと丁度ここに3月30日に最終2巻が発売されたばかりの『ピペドン』がご用意してあります!なんてスムーズな宣伝!

...本来作品を完結させて現在の形で読者に提示した以上、ifの話をしてもあと出しジャンケンにしかならないのでこっ恥ずかしいことなのですが他にネタも無いので続けますと、『ピペドン』は立ち上げ時おおよその流れは話し合っていました。

私の場合、『恋の門』では「無理矢理ハッピーエンド」、『青』では「主人公の死と同時に物語が終わる」、『俺は生ガンダム』では「テレビの流れと合わせる」、というように漠然としたゴールを設定してそこに辿り着くように毎回落とし込んでいくというやり方がほとんどなのですが、何話で終わるというのは考えません。なんでって人気が出てずっと続けるようなことになっても大丈夫なようにですよ!

でももちろんそんなことは起こったためしが無く、『ワガランナァー』では単行本になる当ても無くやってる途中で「あと5回くらいで終わらせよう」と言われてそこから逆算して終わりを考えたりという感じでした。

『ピペドン』ですが、「『<わたし>計画』に決着がつく」(何のことかわからない人は『ピペドン』を読んでみよう!(スムーズな宣伝!!(...地震バカヤロコノヤロ(ビートたけしの真似で)))、というザックリしたゴールを決めつつどういう方向に行くかは途中の展開によって決めることにしました。

で自分の感覚では「もしかしたら5巻くらいのネタかな」と思っていたのですが、連載2巻目の頭くらいのところに来て月刊スピリッツの作品仕分けにサクッと引っかかって「2巻で終わりにしてください」ということになったのです。

で、そうなった時の選択肢として

1.強制的に終わらせる

2.「第一部 完」にして未完のまま放置する

3.駄々をこねる

4.研ナオコのモノマネしてる清水アキラのコスプレをする

くらいがあったのですが、私としては個人的に「作品を終わらせる」のが好きなので、無理矢理でもとって付けたようでも『ピペドン』をひとつの作品として終わらせることを選びました。

ですが割りとゆったり考えていた流れをギュッとまとめねばならなかったので終わらせ方をかなり悩みました。

でもふっと「『<わたし>計画』の決着をつける」というザックリゴールにさえ到達できていれば自分の責任で「終わり」と言うことが出来る、と思い、いくつか考えていた終わらせ方の中で現在の展開を選択したのです。これはもちろん自由にハンドリングできる漫画だから可能だったことです(どんなエンディングか気になった人は『ピペドン』全2巻を(なんてスムー(地震コノ(ビート))))。

もちろん結果について判断するのは個々の読者の方々々ですのでその選択がナシかダメかは私が全身で受け止めますが、作者としては「終わらせられて良かった」と思うばかりです。
ですが当然ほめられればこう答えます。

「最初から狙ってました」

と!

結局漫画家は「親バカ」なので、どんなに酷い終わり方で自分でも「ヒドイ」と思っていても、腹というか手と頭と目と腰を痛めて産んだ作品は糞味噌にけなされてもけなしても可愛いものなのです。

だって作品は実の子供以上に<自分>ですから。

じゃーねーバイバーイ!

~第一部 完~

~ウソ~


ということで最終回だった訳ですが

皆さん、最終回なのに悶々とされても困るので気になっているであろう『ピペドン』を紹介して終わりにしたいと思います。
長い間、ご愛読いただき誠にありがとうございました。

ピペドン (2) ピペドン (2)
「お腹の子の親は誰だ?」――「わたしと、わたし」。
人類初。わたしのわたしによるわたしのための人工授精。その結末を目撃せよ!!

「わたしのセックスは、ピペットと同じなのよ」
「わたしはわたし由来の<わたし>からだけで<わたし>をつくることにより、女も男も乗り越え完璧な<人間(ヒト)>となるッ!!」

自分のために人殺しまで犯した恋人を迷いなく張り倒し、女が求めた究極の「生と性」とは!?
これは人類が避けて通ることのできない禁断の未来、いや現実である。
異能の傑士・羽生生純が挑んだ最先端生命科学(ライフサイエンス)フィクション、ここに完結!!(Amazon.co.jpより)

地震のバカヤロー!!
MDS(漫画家だってできることをする)作戦

地震のバカヤロー!!<br />MDS(漫画家だってできることをする)作戦
https://www.enterbrain.co.jp/comic/JB/20110311.html

羽生生 純(ハニュニュウ ジュン)
漫画家 1970年生まれ 1992年デビュー

代表作
『アワヤケ』 『青 -オールー-』 『恋の門』
『1ページでわかるゲーム業界』 『ワガランナァー』
『サブリーズ』 『強者大劇場』


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