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漫画原作者のお仕事-山田隆道第2回「彼女のおかげで頑張れた」

掲載日:2008.11.25

漫画原作者のお仕事 山田隆道 パート2

漫画原作、コラム、エッセイ、そして小説と多岐に渡って文筆活動を展開する山田隆道さん。
彼が今日のポジションにたどり着くまでにはどの様な道のりがあったのか?
そして、創作活動における信念は何なのか?
貴重なお時間をいただき敢行した全5回の超ロングインタビュー。

前回「文筆活動にたずさわるきっかけ」についてお聞きした我々に対し、怒濤の勢いでお答えいただいた山田さん。
止まるところを知らないそのトークは、なんと40分強!
第2回は、前回お答えいただいた内容を一つずつ紐解き、作家 山田隆道の実像に迫ります。

インタビューはこちら

山田 隆道 山田 隆道
漫画原作家・コラムニスト・エッセイスト
大阪府出身。清風南海高校、早稲田大学卒業。
ユニット「あおい」として漫画『彼女色の彼女』『リサーチャー』『借金カノジョ』などを発表。
さらにコラムニスト、エッセイストとしても活躍しており、数多くの雑誌などでエッセイの連載を抱えている。特にプロ野球(阪神ファン)には造詣が深く『ベースボールマガジン』や『ベースボールタイムズ』などの野球雑誌で連載を抱えるほか、その他のメディアにも出演や寄稿が多い。別名「80年代プロ野球をこよなく愛する男」。
また、テレビ・芸能界の事情にも精通している。
山田 隆道 Official Blog 山田 隆道 Official Blog

あおい 【What's あおい】
渡辺啓と山田隆道による作家ユニット。
まったく異なる2つの個性が絶妙な化学反応を起こし、漫画原作、映画ドラマ、単行本、舞台など様々なジャンルの作品を'雑貨屋'の如く生み出していきます。
オフィシャルホームページ

【漫画】
彼女色の彼女』(あおい名義 / 幻冬舎)コミックス1~2巻発売中
彼女色の彼女 (1) / あおい , やしき ゆかり 彼女色の彼女 (2) / あおい , やしき ゆかり
リサーチャー』(あおい名義 / 幻冬舎)コミックス1巻発売中
リサーチャー (1) / あおい , 箸井 地図
『借金カノジョ』(あおい名義 / 幻冬舎)VISIONCASTにてドラマ版配信中!
VISIONCAST  VISIONCAST VISIONCAST

【小説】
『赤ラークとダルマのウィスキー』(ベースボールタイムズにて連載中)

【コラム・エッセイ】
山田隆道の11AM@三軒茶屋』(月刊チャージャー)
山田隆道のにわかでゴメンよ!』(WebMagazine格闘王国)
『野球相伝』(ベースボールマガジン
『山田隆道の男ヂカラ』(月刊クールトランス
『山田隆道の勝手にテコイレTV』(月刊エンタテイメントダッシュ
『山田隆道のR35エンタメレビュー!』(月刊エキサイティングMAX
『ちょっとダメ系?B型男子』(マイコミジャーナル)12月12日から連載スタート!
山田隆道のブログに茶々々!』(スポーツナビ)
『山田隆道のスポーツ茶々々!』(PC fan)1月から連載スタート!

【書籍作品】
『芸能界超ウルトラおバカ名鑑』(ぶんか社)2009年1月上旬発売予定!
SMACKGIRL OFFICIAL BOOK 2000-2006』(インセンス出版)プロデュース

あまのじゃくな性格

―― 大学一年生のころから放送作家をされていたとのことですが、元々文章を書く職業に興味はあったのですか?

まったく無かったですね。
高校を卒業するまでは、スーパーバスケットマンでした(笑)。
高校ではバスケ部のキャプテンだったんですよ。
だから、大学でもバスケをするつもりだったんですけど、足の怪我があったり、心臓に先天性の不整脈を持っていたり、体育会系のバスケ部っていうのはハード過ぎてできなかったんです。
大学は早稲田なんですが、本当に強いチームだったから。
それまでバスケ一色だったし、頑張って受験勉強したのに「なんだよ~」って感じでした。

元々、あまのじゃくな性格で中学受験しているんですよ。
みんなと同じ中学校に行くのが嫌で。
高校も、関西の一流大学に何十人も合格するような進学校だったんですよ。
そんななかで、僕は東京に行こうと。
母親が東京の人だったというのもあるんですが、みんなと違って東京に行こうと。

その感覚と一緒で、大学生に入学すると普通はサークルに入ったり、アルバイトをするじゃないですか。
そんなときに、僕は絶対違うことをしようと思ったわけです。
サークルに入るという普通のスタイルは取らずに違うことをしたかったんです。

そんなときに、ある大御所作家との出会いがあり、弟子としてお世話になったんです。
それが、物書きになる道への第一歩でした。
だから、それまで物書きになるなんて考えてもいませんでした。

格好いい言い方をすると...いや格好悪いか?
僕ね、競争するのが嫌いなんです。
競争したら負けるかもしれないじゃないですか。
あれ怖いですよね。
だから、競争しないオンリーワンになりたかったんです。
勉強をしても負けることがあるじゃないですか。
スポーツをしても負けることがあるじゃないですか。
アルバイトをしても出世できないかもしれないじゃないですか。
でも、大学生で放送作家って普通はないじゃないですか。
そういう意味ではオンリーワンじゃないですか。
嫌らしいけど、戦略家ですよね。

文学少年だったんですよ

―― 文章を書く訓練や練習はしていたんですか?

まったく無かったですね。

―― でも、文章を書けたわけですよね

そうなんですよ、全くなかったんですけど。
ただ、振り返ってみるとすごい読書少年、文学少年だったんですよ。
小学生でヘルマン・ヘッセを読破していたぐらいですから。
気持ち悪いですよね。
でも、それは意識していたわけではなく単純に好きだったんです。
よくよく聞いたら母親が文学少女だったんですよ。
家にトルストイ、ドストエフスキー、ヘルマン・ヘッセや日本の純文学、太宰治や何だと全部あったんですよ。
物心ついたときには既にあって、母親が読んでいたんです。
よくよく考えたら芥川を全部読んでいて、宮沢賢治がすごい好きで絵本も読んでいました。
小学6年生にして、その辺りを全て読んでいたんです。

―― ちょっと、枯れていますよね(笑)

枯れていましたね。
でも、別に物書きになりたかったわけじゃなくて、単純にただの本好き。
絵本と小説が好きで、漫画も好き。
当時『キン肉マン』や『キャプテン翼』が流行っていて僕も好きだったんですけど、それ以外に僕は手塚治虫の『ブッダ』とか読んでいたんですよね

―― それも、枯れていますよね(笑)

『アドルフに告ぐ』とかね。
それは、母親が好きだったから。
そんな子だったんですよ。
でも、別に文章を書く仕事をする気は全く無くて、スポーツをやっていたんですけど、高校生のときに国語の授業で論文の宿題が出たんですよ。
それで、一番を取ったんです。
そのときに国語の先生にすごく褒められたんですよ。
自分ではよく分からなくて「こんなんでいけんねや」と思ったんです。
そのとき自分が書いた論文のテーマは「掛布雅之について」。

今になってみると繋がっているんです

好きな野球をテーマにして「拝啓、掛布雅之様」みたいな書き出しで、掛布についての思いをズラズラと原稿用紙にたくさん書いたんです。
そのとき国語の先生に「君にこんな文才があったとは僕は思っていなかった。申し訳ない。ごめんなさい。」って褒められたんですよ。
今までそう思っていなかったし、そう評価していなかったけれど。
高校1年生か2年生のときに言われて「ヘー」と思って。
それから、国語の村田先生っていうんですけど、すごい可愛がってもらいました。

それで、そんなことを思ったときに、またふと思い出したのが、小学2年生か3年生のときに、子供たちがそれぞれ小説を書きましょうっていう市の催しがあったんですけど、そのときに銀賞を取っているんですよ。
それも忘れていたぐらいなんですけど。
何だかさっきから自慢ばっかりしているみたいですけど自慢しているんです(笑)。
そんなことを思い出したときに「俺、結構いけんのかな~」とか。
けど全く興味がなかったから覚えてなかったんですけど、今になってみると繋がっているんですよ。

そのとき書いた小説でうっすら覚えているのが、時間が止まる話なんですよ。
時間が止まって、主人公の男の子がエッチなことをいっぱいする話なんですよ。
それを小学生が書くんだから、そりゃ珍しがられるよなと。
あとで、母親に「覚えてるって?」って聞いたら「覚えてるよアンタ!小学生があんな猥褻なもん書きやがって!」って言われて(笑)。
教室にね、好きな女の子のパンツを漁りに行く冒険小説なんですよ一応。
勇者なんですよ僕は。
パンツを狙う勇者。
時間との戦い(笑)。
いつ、また時間が動きだすのか?
しかし、あのパンツが欲しい!
そういうバカなことを書いて銀賞を取っているんですよね。
それで、そのときに先生に「おまえ本当にバカだな」って言われて。

それで、そういうこともあって大学に入ったときに放送作家の道へ進んだんです。
師匠には「何でもいいから好きなことを書きなさい。芝居の台本でも、テレビの企画書でも、漫才の台本でもいいから」って言われて、思いついたことを書き始めたんです。
そこで、書式とかこういう風にするんだとか、ト書きってこうするんだ、テレビのナレーションってこういう風に書くんだとか、師匠の書いたものを見よう見まねで覚えていきました。
それを続けていくうちに、師匠を含め周りの評判が良くなって。
だから、勉強をしたことがあるかと聞かれると、そのころに師匠や先輩の文章を見よう見まねでやっていたのが勉強になるのかな。

嫌らしい計算が働いて

当時、大学に通いながらだったから収入が少なくても劣等感は無いじゃないですか。
これがもし25歳だったら「金稼げ」って思いますけど、18歳とか19歳だったから余裕があったんです。
「別にダメでも就職活動すれば...」って思っていたし、早稲田だったし。
これもまた嫌らしい計算が働いてね、3年間見よう見まねで頑張って、ものにならなかったら、金が稼げないんだったら、大学が大学だしそれなりの会社には就職できるだろうって計算はあったんです(笑)。

大学3年生の冬ぐらいになって、みんなが就職活動を始めたんですよね。
やっぱり、同級生ってみんなエリートなんですよね。
就職活動で会社説明会に行った話を聞くと、伊藤忠商事とか電通とか丸紅とかフジテレビとか日本テレビとかの話ばっかりなんですよ。
「こいつら、すごいな」とか思うわけじゃないですか。
だから、めちゃくちゃ迷ったんですよ。
その頃は、月10万円も稼げていなくて、このままやっていけるとは思えなくて、そんな自分に才能があるとは思わなかったし。
子供のころからずっと目指していたわけじゃないし、そういう執着があるわけでもないし。
まあ変な話せっかく良い大学に入ったんだから、電通とかに入社して開襟のシャツを着てね、3つくらいボタンを開けて女の子をはべらかして電通手帳を見せて。
「人生そっちの方が、おいしいじゃん」って思った時期もあってズルズルと迷っていて。
そろそろどうするか決めないといけない時期が迫っていたころ、ポツンポツンとテレビの放送作家としてレギュラーの仕事が入ってきたんです。
それもあって、月16~17万円は稼げるようになってきたんですよ。

またこれも嫌らしい話なんですが、就職活動している同級生たちに「就職活動どうしてるの?」って聞かれるじゃないですか?
そうすると「してないよ、放送作家をしていて稼いでいるから迷ってるんだ」って答えていたら、大学生にしてみたら16万円って結構良い金額で「すご~い」って言われたんですよ。
それと仕事としては珍しいじゃないですか、さっき言ったオンリーワン精神が芽生えて、ここで「やめる」って言えないじゃないですか。
同じクラスの可愛い女の子にも「すごいね~」って言われたり(笑)。

彼女に影響を受けた部分

そういうことがあったり、大学4年生になるころには収入も20万円を超えるようになって「いけるかも」って思えるようになったんです。
ただ、浮き沈みが激しい業界であることも知っていたんですけどね。
収入がいつゼロになるのか分からないとか。

ここで僕の下世話なところが出てくるんですが、当時付き合っていた彼女が某プロダクションに所属して女優を目指していたんです。
一つ歳下の子だったんですが、夢に向って頑張っていたんですよ。
「バイトしながらでも私は女優を続ける。私は女優になりたい。」って。
そんなことを言うのって、格好いいじゃないですか。
僕の「あわよくば丸紅」って何なんだと。
それで、その彼女に影響を受けた部分もあるんですよ。
綺麗な言い方をすると「一緒に頑張ろう、俺も頑張るからお前も頑張れ」みたいな感じで、やっと踏ん切りがついたんですね。
それで卒業してからも就職せずに物書きとして、放送作家として食っていくぜ!みたいな。
今思うと、その彼女がいなかったら物書きにはなっていなかったですね。

放送作家からスタートし、徐々に活動の場を広げてきた山田さん。
彼の文筆活動における信念とは何か?
そして、渡辺啓さんとのユニット「あおい」とは?
次回は、言葉を扱う作家としての美意識をお聞きします。


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