リトル・フォレストは面白い?評価点数・レビュー・無料の有無をチェック
『リトル・フォレスト』をおすすめ! リトル・フォレストの面白さを感想レビュー、みんなの評価点数と口コミ関連情報で紹介。 リトル・フォレストは「五十嵐大介」と「アフタヌーンコミックス」と「」と「」と「」とにランクインしています。 このページではリトル・フォレストの作者・五十嵐大介先生の他の漫画やリトル・フォレストが好きな人のためにテーマ・ジャンルでの類似漫画、お気に入りの漫画家の他の作品(過去作)、同じ掲載誌などからの面白い漫画も探せます。さらに各社の無料試し読みサービス比較表付き。 そしてあなたの評価を30秒で簡単にSNSシェアできる!【スタンプ点数評価】付き。 この作品を面白いと思う人のために最新刊~完結情報までしっかり紹介♪ リトル・フォレストの最新刊は『リトル・フォレスト(1) (アフタヌーンコミックス) 』 完結済です。動画配信(動画配信各社の比較付き)・予告動画・声優・出演者・監督の関連情報も随時紹介!

公開日:2012年12月03日
講談社
2012/12/03 発売
作品紹介
リトルフォレスト
一花・二乃・三玖・四葉・五月の五つ子達が
ゲームに登場!
「五つ子ちゃんはパズルを五頭分できない」
4
[ストーリー性 4 | キャラクター性 4 | 画力 4 | 読後感 4]
リトル・フォレストのオススメ感想レビュー
忙しい日常から少し離れたい時に
リトル・フォレスト(2) (ワイドKC アフタヌーン)
ストーリー性
キャラクター性
画力
読後感
いつものように本屋で物色をしてる時に出会ったのが「リトル・フォレスト」でした。
色んな本が並んでる中で目を引いたのが、表紙の女の子。目のくりっとしたショートカットの可愛い女の子が白いワンピースを着て赤いくだものをほおばっている絵でした。
女の子好きだけどそれだけじゃないですよ!もう1つ目を引かれたのは、女の子の背景。
普通の街並だったりしたらそのまま素通りしたかもしれないけど、女の子の後ろには夏の里山のような緑の草木が一面に広がった田舎の風景。
ん?一体どんなストーリーなんだろ?そう思うと手に取らずにいられなかったのです。
白いワンピースの女の子は「いち子ちゃん」。里山にある農村で一人暮らしをしています。
手近にある農作物、果実を使って色んなモノを自給自足していく様子があたたかいタッチで描かれていて、ちょっとしたレシピなんかも含まれてます。
作品を読んでいて不思議なのがいち子ちゃんの生活に懐かしさを感じてしまうのです。
僕も幼少期は田舎で過ごしましたが、いち子ちゃんの住む世界とは全然違うところでした。
体験どころか見た事もない世界なはずなのにすごく懐かしいのです。まるで自分もそこにいたかのような錯覚を覚えるのです。
忙しい日常から少し離れたい時に僕はこの本をめくります。
あなたもいち子ちゃんのいる「リトル・フォレスト」を訪れてみませんか?
おっさんながら、ここで泣いてしまった
リトル・フォレスト(2) (ワイドKC アフタヌーン)
ストーリー性
キャラクター性
画力
読後感
真っ二つに割れた空。
青い光と黒雲。
私と同じだ
と心につぶやく主人公”いち子”と同じ心を持つ僕は、36才になる立派なおっさんだ。
立派なのは、おっさんとしての年齢ばかりで、その他諸々はまったく立派ではない。
ネクタイを締め、家庭を持ち、社会的にそれなりの責任を負うと思われるような年齢にありながら、未だ心は思春期のように真っ二つ。
もう、びっくり。
まったく、自分が本当に心から望んでいるような生き方というのは、なんて多くのものを手放さないと手に入らないものなのか。
何も決められないまま、それでも歩き、路上にあった物を拾い集め、これはこれで素晴らしいものだから、と手放せず今に至る。
おっさんになるともうこんな迷いはないと思っていたのに、未だ同じ螺旋をぐるぐる巡る。
本当に望む自分へ至るには、今の自分を捨てなければならない。
今の自分という住み慣れた”家”を出て、辿りつける保証のない、しかも険しいと聞く道のりへ踏み出さなければならない。
一番捨て難いのは、この恐れだろうか。
一個(←おお、いちこを変換すると!)、いち子は延々、「食べる=生きる」を毎日繰り返しそれと真摯に向き合いながら、一方、二つに割れた自分と向き合うことを無自覚に避けていた。
それを自覚するには時と人が必要で、それらが揃い、自分が満たされつつ尚しかし、満たされない部分があらわになったとき、彼女は決断する。
おっさんながら、ここで泣いてしまった。
おっさんだから余計に、かも知れない。
「リトルフォレスト」という、簡単に言うと田舎暮らしとスローフードの漫画だ。
でも、僕の胸の一番深いところまで届いた”何か”は、味噌汁に入れる極微量のみりんのような隠し味、いち子の迷いと決意だった。
読了して2年、僕が何か変わったかというと、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけど、この本と出合えて良かったと思う気持ちは、計量カップでは測れないほど大きい。
グルメ漫画は数あれど、この味わいを出せるのは五十嵐大介だからこそ
リトル・フォレスト(2) (ワイドKC アフタヌーン)
ストーリー性
キャラクター性
画力
読後感
田舎に生まれ、田舎で育ち、一度は離れてもまた田舎に戻り、田舎で暮らす。
おいしいご飯と、そして農作業の日々。
都会で一緒に暮らしていた男性と別れ、田舎に戻った主人公いち子が一人暮らしなのは
中学生の時に母親がいきなり失踪したからだ。
それでも生まれた場所で生きて行こうとするいち子。
刈入れた稲束の側、田んぼで近所のおばあさんと世間話
「街で世話になった人に送ってやったら喜ぶんでないの」
「うん…、そういう人いないんだ」
と答えるいち子のバカ正直さったら!
それまで作者の描いてきた、寓話的幻想譚とは一変した現実的すぎるほどに現実的なこの作品は、五十嵐大介氏本人が一時期体験した東北地方での生活が存分に生かされている。
一人で暮らすいち子の側に猫を描いてしまう程に。
いち子のおいしいものをほおおばる表情を見ると、田舎暮らし礼賛!とかスローライフスローフード万歳!なんて単純な思考に走りそうになるけれど、もちろんそれだけで終わるはずが無く、小森と同じように過疎化の進む田舎で生まれた私には、体験した者にしか描けない田舎暮らしの厳しさや現実の方がむしろ強烈に印象に残ってしまう。
2巻で加筆された「一緒に暮らすモノ」、普通にあるもんな~実家に。
でも、リトル・フォレストを読むと田舎に帰りたくなる。
つきたてのお餅を温かいうちに食べたくなる。
落ちた実の臭いを思い出す、裏庭のグミの木はもう枯れたっけ?
満月の恐ろしいくらいの神々しさや、晴れた新月の夜、満天の星の輝き。
掘ったさつまいもはイノシシが来ないようにムシロをかけておかなくちゃ…
子供の頃に食べたもの、生活した環境はギリギリと身に刻まれていて、やっぱりいち子はそこに帰る事が一番だったんだろうな。私にはできそうにないけど。
それにしても作者は相当なくいしんぼうだ。
旬の自然の恵みを楽しむ究極の贅沢。もちろんおいしく食す工夫も怠らない。
小森のような場所でデロンギのコンベクションオーブン使ってる人もそうそういないぞ。
添えられたレシピは料理やお菓子を作り慣れていることが良く伝わってきて、男性の作者があーでもないこうでもない、と試行錯誤しながらお菓子を焼いているのを想像すると、なんだかほっこりにんまりしてしまう。
画力の高さゆえ、調理している擬音さえおいしそう。
グルメ漫画は数あれど、この味わいを出せるのは五十嵐大介だからこそ。
読んだあと、無性にパンを焼きたくなるんだよなぁ。
そして、作者と飼い猫一匹との田舎暮らしを綴った「カボチャの冒険」とを併せて読むと尚いっそう楽しめることでしょう。
リトル・フォレスは五感を刺激する漫画である
リトル・フォレスト(2) (ワイドKC アフタヌーン)
ストーリー性
キャラクター性
画力
読後感
昨今、都会暮らしに疲れた人々は、田舎暮らしの自給自足生活に淡い夢を抱く。こころ癒され、心豊かに過ごせるだろうと。
リトル・フォレスは、街から小森(東北のとある集落)にUターンした「いち子」が主人公。
いち子は、言葉よりも自分の体で感じながら実践するタイプ。一人で自給自足の田舎暮らしをしている。
特に調理して食べることが大好きで畑の作物から自生している植物まで食す。時には自然と一体化し心遊ぶ。
あらすじを要約してみたが、この漫画はだたの「田舎暮らしの漫画」ではない。
誰もが抱えるこころの不安や解せなさを描いている漫画なのである。
人は誰でも自分の居場所捜し求める。ささやかな幸せを受け止めて自分の居場所だと認識する者。終生自分の居場所探しの旅を続ける者。
どちらの考え方も可でもなく不可でもないことを温かく描いている。
また、リトル・フォレスは五感を刺激する漫画である。
調理のシーンでは、美味しそうな匂いが香り。新緑のシーンでは風が緑が薫る。
小説は、読者の想像力を育成するが、漫画は、読者の想像力を欠如すると論じる人もいるが、五十嵐氏の作品は、漫画から更に掘り下げた世界を想像させる。
漫画と小説のエッセンスが詰まった新たな分野の漫画と言うところだろうか。
だからこそ、「もう大人だから漫画は読まない」と公言されている方々に一度読んでみてもらいたいと思う。
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