元名古屋テレビ プロデューサーによる「機動戦士ガンダム」誕生回想録
掲載日:2007.06.18
元名古屋テレビ プロデューサー 今井慎
「機動戦士ガンダム」誕生回想録
First Gundam The First Impression
第1回 ファーストガンダムはこうして生まれた
ファーストガンダムはこうして生まれた
――はじめに、ガンダムに携わる前の、今井さんのお仕事内容を教えてください。
一番初めにデスクを4年、それから営業を10年、そのあと編成業務部に12~3年かな、名古屋テレビだったけど名古屋には行かなかった。東京での仕事が楽しくてね。家族を選んだということもある(単身赴任をしないため)。編成に来て2年後かな、ガンダムが始まった。
――ガンダムという企画との馴れ初めはどのようなものだったのでしょうか。
自分の担当枠の新番組企画として、制作会社と打ち合わせたんだ。私は広報担当でね。編成部長や相手方は社長以下代理店の担当者までみんな集まって。もちろん富野さん(富野監督)もいた。スポンサーも最初から決まっていた。いろいろあって途中から変わってしまったんだけれどね。
――作品内容と放映時間帯のギャップのようなものは感じましたか?
夕方5時から5時半という放送枠は、もともとそんなにいい時間というわけではなかったんだ。当時ちょうどビデオが爆発的に普及し始めたときでね。ガンダムの内容が高度だったでしょ。視聴者の主だったところが子供というより学生とか少し年上の層だったんだね。そうなるとクラブ活動やら何やらでその時間にテレビの前になんかいないんだ。そういうわけでみんな録画してみるようになって来ちゃったんだね。我々はね、リアルタイムの視聴率は問題にしなかった。だけどやはり無視はできない。視聴率が悪いといわれたことも何度もあった。ガンダムの頃からですよ、リアルタイムの視聴率と実際の人気が連動しなくなってきたのは。
――人気と相反して全体の話数が短めだったのには理由があるんですか?
うーん、あの時間帯で、ローカル局の製作だったからね。難しいところもあったんだよ。ただ、結果論だけどあの43話の内容でよかったんじゃないかな。内容が詰まっていて素晴らしかった。
――たとえばそういう理由で製作現場でモチベーションが下がった、みたいなことは無かったんですか。
なかったですね。製作現場のみんな、内容と枠が一致していないことなんてことはわかっていたんだね。そんなことに目くじら立てていた人はいなかったよ。
ガンダム、その名の由来
――ガンダムという企画の、立ち上げ時の様子や、まだ形になる前のガンダムに対して抱いていた印象はどのようなものだったのでしょうか。
最初に企画の説明が監督からあった。タイトルに関しては3つくらいの候補があったんだ。ガンヘッドとかだったかな。なんだか平凡な感じがした。その当時流行っていたのがね、「マンダム」って整髪料(のコマーシャル)なんだけどね、「う~ん、マンダム」ってね。今でもあるな。その響きがいいとおもってね、そこで「ガンダム」ってのはどうだろうと。そんな風に決めたんですよ、ガンダムという名前は(笑)。
結果的には、候補のひとつだった「ガンボーイ」とかより、ずっと良かったよ
――ボツになった案はありましたか?またそれはどのようなものでしたか?
いや、富野さん自身がもう本気で入れ込んでいてね、それしかないっていう勢いだった。ボツ企画というものはありませんでした。
――ガンダムが企画着工するまでと、した後の、今井さんの苦労はどのようなものだったのでしょうか。
あまりね、苦労は無かったんだ。ガンダムは楽しかった。ガンダム以降10年ほど私はアニメのプロデューサーだったんだけどね、ガンダムが一番楽しかったな。...というのもね、私は広報を担当していたのでね、作品に深くかかわることはしても契約関係などの仕事は無かったんだね。そっちはいろいろ大変なこともあっただろう。
僕は、夜の銀座で男芸者として鍛えられてたしね(笑)。そりゃぁもう、ガンダムのためには自分がどうだなんて小さいことはどうでもいいんだよ。
今井 慎 (いまい まこと)
元名古屋テレビ プロデューサー
1933年、東京都渋谷区生まれ。
1962年、東京教育大(現筑波大)卒。同年、テレビ朝日系列の名古屋テレビ入社。
名古屋テレビの東京支社側番組制作責任者として1988年から1993年の間、毎週土曜日夕方5時半からの日本サンライズ製作のSFロボットアニメ番組枠を担当。美形アニメの先駆け作品として名高い「鎧伝サムライトルーパー」や、1990年代を代表するロボットアニメシリーズ「勇者シリーズ」の番組プロデュースを主に手がける。
「機動戦士ガンダム」放映時は、名古屋テレビ東京支社編成業務部に在籍。東京支社側のアニメ番組制作および宣伝担当者として日本サンライズ、創通エージェンシーなど在京各社との調整を担当。作品の総監督の富野喜幸(現 富野由悠季)、キャラクターデザインの安彦良和、メカニカルデザインの大河原邦男という3人の天才のつなぎ役としてガンダムプロジェクトを影で支えた。
1994年、名古屋テレビ退職(退職時は東京支社編成部部長待遇)。
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