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同人誌即売会を運営するお仕事-ガタケット事務局坂田さん

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同人誌即売会を運営するお仕事

83年の1月に第1回が開催されてから、25年。
今年の8月31日には、記念すべき100回目が開催される同人誌即売会ガタケット。そのガタケットに1回からスタッフとして参加し、11回から現在まで代表を務めるガタケット事務局坂田さんに、当時の様子や、同人誌即売会の変化を伺いました。

ガタケット開催100回記念特別企画「坂田さんにマンガ100の質問」はこちら。

坂田文彦さん 坂田文彦 プロフィール
18才の時に、ガタケットの前身となる新潟アニメーションサークル連絡協議会に参加。その後上京し、アニメーターとして活動。「Zガンダム」などの原画に携わる。
22才ころに新潟へ戻ってきて、ガタケット11より現在までガタケット代表を務める。

■ガタケット&ガタケットSHOP
同人誌展示即売会『ガタケット』&『ガタケットSHOP』公式ウェブサイト

ガタケット100
ガタケット100

ガタケットが始まった経緯を教えてください

――同人誌即売会ガタケットは、何時、どのようにして始まったのでしょうか。

はっきりとした結成年次はないんですが、一応会議(らしきもの)を始めたのが、82年の夏です。 ガタケット事務局の前身となる新潟アニメーションサークル連絡協議会という組織があって、公民館などを借りて、無料上映会をやってたんですよ。
当時は、「うる星やつら」とか、新潟では全然アニメが放映されてなかった時代なので、有志で集まって上映会をやってみるよう、といった感じでした。一緒に観たい人観てねっ、と仲間内で観てる感が強かったです。
そういう集まりがあった中で、新潟でも同人誌即売会は始まりつつあって、まぁ、僕らもやろうじゃないかと、いう話になってスタートしました。だから創設期は、同人誌サークルの集合体だったんですよ。全部で5、6サークルくらい?の集合体が軸になって、発足しましたね。それが82年の夏です。

――1回目の開催規模(開催地、出店サークル数、お客さんの数など)を教えて下さい。

1回目が行われたのは、83年の1月です。場所は、今はもうないですけど、カミーノ古町の5F(新潟の繁華街にあったファッションビル)でした。サークル数が50から55サークルくらい。正確なデータはないですけど、一般参加者は300人くらいだと思います。

第1回ガタケット 第1回ガタケット
ガタケット第1回のサークルカタログ

――当時はどんな作品が人気だったのでしょうか。

東京ムービー社が作った横山光輝原作の作品をまるっきり無視した「ゴットマーズ」。(笑)
当時だと「風の谷のナウシカ」、「クラッシャージョウ」、「マクロス」「宇宙戦士バルディオス」あとは・・・あの頃アニメ多いからなぁ。
マンガだと何になるんだろ、82年だと・・・(少し考えて)、「ストップひばり君」とかのあたりかな。あぁそうだ、大友克弘の「童夢」か。AKIRAが始まってたかな、大友が騒がれだした時代です。あと細野不二彦さんがやっぱり売れ出してきた頃で、他には「うる星やつら」、「タッチ」とかになりますね。
言ってたらキリがないからこのくらいでやめましょう。

――ちなみに、第1回目の一般参加者って、どうやってそれを知ったのですか?

よく覚えてないんだよね。

――やっぱり口コミとかになるのでしょうか。

えーと、ガタケットをやる前にアニメイトエクスプレスというミニコミ誌をだしてたんですよ。それも元々似たようなことをやっていた主催者さんがいまして、それをまぁ僕らが真似ただけなんですけどね。ただ元々サークルメインでやってたのと、僕ら以上にサークルに軸がふれてたんで、まぁ、僕らがやるならイイや、と。僕らと平行して1回やって、その後はやらなくなりました。
今でもその方はサークル参加してますし、ガタケットでマンガ描いてもらったりしてるんですよ。「マンガのお絵描きサロン」とか、あと」諸注意マンガ」とか描いてる人たちがそうなんです。

1回目を終えた時はとにかく、ほっとしました

――その頃から繋がりがあるんですね

そうそう。当時僕18才だからね。第1回の構成スタッフって、一番年長者で24才、次は22才、あとみんな10代の構成メンバーでしたね。

―― 一般参加者の年齢もそのくらいなのですか?

そうです。だから、低年齢化しているって、よく色々言われることがありますが、あの時以上に低年齢な時代はないですよ。
一般参加者を含めて主催者を越えている年齢って、ほんと10人から20人程度で、残り300人の大半が10代、20代前後。平均年齢にしたら、18、9くらいだと思います。

――1回目を終えた時の感想を教えて下さい。

ほっとした、が一番大きかったかな。まぁある程度サークル参加者さんも一般参加者さんも集まってくれよかった、って。
交渉ごとから何から、ほとんど社会人経験のない人間が運営をしたので、そういう意味では不安は大きかったです。若さからくる大胆さ、もあったと思いますが。
やっぱりね、よかったな、ホッとした、という印象が大きかったです。あとは、疲れた、かな。

――先ほど、一般参加者は300名くらいと言われましたが、その数は当初思い描いてた数よりも多かったですか?

多かったですね。300名といっても、正確なデータは取ってないのでわかりませんけど。ただ、会場であるビル5Fの階段から1階まで列が届いてましたので、そのくらいはいたかと思われます。あまり、多めに言うのは好きじゃないんで、少なめに言ってますけど。
ただ、成功したな、っていう印象がありました。

――そのころからコスプレがあったのでしょうか

当初からコスプレはありました。
ガタケットのスタンスは、基本的に同人誌即売会があり、ほんとに両輪でコスプレがある。これは昔から変わらないスタンスですね。
当時はオームのコスプレしている子がいましたよ。自分でハリボテ作って、中でよつんばいになって歩けるんですよ。かなり評価高かったです。
それで、ナウシカのコスプレしている方と並んで一緒に写真撮ってましたよ。あの頃は、パフォーマンスとかもO.Kでしたので、会場内で普通に、シャリバンとかの変身ポーズをとっている方とかいましたねぇ。

コンセプトは「同人誌制作の支援」

――ガタケットSHOPができたのはいつ頃、どのようにして始めたのでしょうか。

オープンは、ガタケット50回目の時と同じ日だから99年です。50回と一緒にしたので、おかげでエライ目にあいましたが。スタッフ全員、あれは悪夢でした。
当時はすでに、多くの同人誌ショップがありましたが、僕が、同人誌ショップをやるならこうだよなぁ、というスタイルではありませんでした。
一番の違いは、「同人誌をつくるためのサポートショップ」ではない、ということです。あくまでも本屋さんですよね。
僕がやりたかったのは、自由にそこで本が作れるショップです。お店で作業もできて、本も描けて、コピーができて、更に製本までできるお店を作れれば一番理想的。それが、僕の思い描いているショップです。
オープン時は、新潟駅から徒歩5分ほどの場所で、店舗の面積は25坪程。
やれる事に限りがあったので、まずは、画材を充実させることと、コピー機をとにかく沢山置きました。最終的にコピー機を5台置いたんですよ。あとは、簡易印刷や紙の断裁サービスなどがショップ内できるようにしました。思い描いていたかなり近いところまでやれたと思います。実際それで沢山コピー本をつくってくれましたし。
ですので、ガタケットショップのコンセプトは「同人誌制作の支援」、そこに始まってそこで終る、と思っていいくらいです。儲けだけを考えていれば、今の金額で普通できないと思いますよ。
若い子たちが、同人誌をつくるのにコストをいくらかけれるか。お小遣いの中からどのくらいかけれるかが、金額設定の前提になっています。同人誌に興味をもった子たちが気軽に作れる環境を整えたいと思っています。
基本的に同人誌って、よっぽど部数が売れないと儲からないのですから、いかに、サークル活動している時に、作家に負担にならないようにするのは、主催者として、ある程度考えないといけない義務だとずっと思っていました。
そこで、一番力になれるとしたら、ガタケットが、「安く印刷できる場を提供する」「コピー出来る場を提供する」と、その点に集約した訳です。
ウチは製本は無料ですからね。製本しても、断裁しても無料なので。作ったものを背閉じすると、コピー誌ですがオフセットと変わらないくらいの本が安く作れますよ。
その後、新潟市の万代へ移転し面積に余裕ができたので今のショップはほぼ満足してます。もうちょっと作業できる面積が欲しいですが。更に欲を言えば、マンガやアニメの会話が出来る、アニメを観ながらお茶ができる休息スペースを作りたいな、と。もっとお金をもっていれば、アニソン・特撮縛りのカラオケ屋(コスプレ着て歌ってもいいよ)とかやってみたいです。
これはもう昔から思ってるんだけど、そんな予算はない(笑)。基本的にアマチュア団体からスタートしているので、利益を追求していってないんですよ。だから、常にカツカツなんです。

――会場はどのような経緯で今の産業振興センターになったのでしょうか。

単純にサークルが増えたからです。カミーノ古町、新潟市体育館、それから臨港スポーツセンターというスケート場を借りたこともありました。そこは夏場は会場として借りれたんで、借りたんですが、クーラーがなかったですよ(笑)
また、体育館を借りていた頃は、設置にもの凄いコストがかかって、毎回赤字でした。その後、万代シティホールという所で開催したのですが、 赤字が続いて、3年間に1回しかやらなかった時期もありました。
社会人の参加者が自腹を切って赤字を補填したり、サークルさんにカンパ箱を置いて回ったこともありました。
そうこうしているうちに、参加数も増え、収納できる会場がなくなってしまい、ガタケット12から、産業振興センターさんを1/3借りて始めました。
それからは、ほぼずっと産業振興センターさんを借りてやっています。1/3が1/2になり2/3が全館と拡大していき、全館になったのが25回からですね。1994年です。この時で参加サークル数が800サークルくらい、現在の水準くらいです。

参加者層は徐々に上がってますね

――参加者の年齢層に変化はありますか。

ありますね。やっぱり徐々に高齢化してきていますね、全体に。みなさんは低年齢化しているかと思ってますけど、あれは錯覚です。 自分が年をとっていることを忘れてるんですよ。平均年齢は、一般参加、サークル参加ともに上昇の一途をだどっていますね。
緩やかに上がっていって、ここにきて急に上がったりもしています。やっぱり少子化が大きいです。

――親子連れとかはいますか。

いますよ、普通に。だから授乳室もありますよ。

――印象に残った回はありますか?

やっぱり、30回と50回、それともちろん1回目も。節目の回が印象に残りやすいですね。
あぁそうだ、あとひとつ、柴田亜美さんが来た時が印象に残ってます。柴田亜美さんが普通にサークル参加したんですよ。
あの時が、ガタケット史上最長のサークル列ができて、初めてスタッフ本隊がフル活動、フル動員して、閉場時間ギリギリまで本隊が対応したっていう。何回だったかなぁ、あれは確かにすごい記憶に残っていますね。

――印象に残った作品はありますか?

同人誌の世界を大きくかえたのは、「キャプテン翼」だと思います。そういう意味で、一番印象深いです。
いわゆる、既存の漫画をモチーフにした、特に同性愛ネタものが増えたということで、幅も広がったし、素材の使い方というのが、作品を一定の下敷きにしているだけで、もうほとんどオリジナルと変わらないレベルで、作家たちが料理して世にだしたという意味で、それまでの既存のパロディやオマージュと呼ばれるものとは明らかに違いました。
あとは、「スラムダンク」。ものすごいブレイクしました。あれでまた同人誌の世界が変わりました。
「キャプ翼」の頃は、同人誌を刷る金額ってのは、まだ割高感があったのですが、その後どんどん同人誌印刷所が増えていき、印刷が安くできるようになりました。そして安く印刷できるようになった分、大手サークルは、紙質や冊子の厚さなどにお金をかけれるようになり、200Pとか300Pとかいう同人誌が誕生したのです。ちゃんとした厚閉じの表紙の「上製本」といわれる百科事典みたいな感じの本が個人単位で、カラーページが普通に入ってたり、特殊紙を使用されてたり、そういうことが、当たり前のように行われていた時代が「スラムダンク」でした。だから1冊3000円とか2000円とか、という同人誌が普通に売ってましたよ。
あとは、「サムライトルーパー」「聖闘士星矢」「セーラームーン」「エヴァンゲリオン」「ガンダムW」...うーん、言い出すとキリがなさそうです。

―― 一番うれしかったことを教えてください。

一番は難しいですが、30回の時と50回の時にサークルさんが、手作りのちっちゃい花輪と寄せ書きプレゼントしてくれたんですよ。
それいただいたときかな、でも、他にもたくさんありますね。あとは、50回記念でショップが同日にオープンしたとき、サークルさんから「この本、ショップで刷りました」って言ってもらったりとかですかね。

―― 一番のトラブルを教えてください。

うん・・・あんまり口にだせないことも多いかな。業者さんがドタキャンで机とイスが貸せなくなったってのがありました。数日前にその連絡もらって、その後、9時間くらいずっと電話かけ続けて、他所から少しづつ集めましたね。あれは未だに忘れられません。辛かったですよ。

作家さんには本を出して欲しいし、出し続けて欲しい

――他の同人誌即売会と比べ、ガタケットの魅力を教えて下さい。

ガタケットはいろんな意味で自由度が高いので、参加しやすいです。
自由度が高いというのは、規則・規定が厳しくない。作家側に対しても、コスプレに対してもそうですし、会場内そのもののルールも含めてあんまり、四の五のいわない。もちろん最低限のものはあるけど、ことさら細かく言っていません。

――イベントを続けていくにあたって大事なことはありますか?

僕が尊敬している「白洲次郎」という方がいるのですが、彼がでいうところの「プリンシプルを持って行かなければならない」という意識は常にもっています。自分のなかでも好きな言葉だし、それが一番大事じゃないのかな、どうしても、そこだけを外すと、ダメでしょうね。
まぁ、「美学」って言葉でもいいんだけど、ちょっとキザっちぃじゃないですか。あとは、ずっとマンガとアニメを好きであり続けること。当たり前過ぎるけど、まぁ、絶対条件ですから。

――1回目から前回(99回)までに一番変わったことは何ですか?

昔は、割と「将来プロになりたい」って子が多い世界だったのが、「別にプロを目指しているわけじゃない」「割とマンガが好きだから描いてる」という子が多くなったことだと思います。
あとは意識の違いについてですが、昔は同人誌が儲かるなんて、誰も思ってませんでした。損して当たり前。僕自身も同人誌で儲けようなんて当時は思ったことありませんでした。
それが今は、売れる売れないって判断を凄くするようになりましたね。サークルさん側も。それは、意識の違いとしては大きいんじゃないでしょうか。
売れない物が同人誌だったんですけどね、当時って。だから、売れるように、売れるようにっていう方向性でかく作家さんが出現してますし、やっぱりそれは「キャプ翼」くらいが境目になってるんですかねぇ、わかんないけど。それは大きな差になってるんんじゃないでしょうか。良い、悪い、じゃないですよ、これは。

――これから即売会に参加しようとしている方へアドバイスをお願いします。

とにかく、マンガを描くってほんとに楽しい作業だし、自分自身の経験から言ってもそうだし、まぁ、ボクはマンガ描く才能がないなぁっと思ってアニメーターになったんですけどね。 だから、マンガを描くってすごく与えられた才能だと思うんですよ。せっかくいただいてる才能なんだから、とにかく作家さんには本を出して欲しいし、出し続けて欲しい。
一般参加者の方には、荒削りだけど面白いってものにも目を向けて欲しい、かな。そもそも同人誌ってそういうもので、同人活動からプロの作家さんになる方はたくさんいます。そういった方たちの作品をプロになる前に読めるってのは、すごいラッキーなことじゃないですか。 そんな楽しみをね、一般の買い手側の参加者に意識してもらいたいですね。
ゆっくりまわって欲しいし、じっくり読んで、よかったら買って欲しい。
あぁいいな、この作家伸びるな、って原石探しをしてほしい。
僕らの同人誌の、僕らの黎明期時代に普通だったことを、それでほんとにプロになる前の作家何人も見つけてるわけだからね。

――ありがとうございました。



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